「幸せ」とは。
幸せとは、何だろうか。
お金を貯める事。
好きな物を食べる事。
好きな事をする事。
どれも間違ってはいない、幸せの形。
けれど、正しくも無い。
人間の本質はSMである。
フランスの哲学者サルトルはそう述べている。
マゾヒズムは、自分で自分を魅惑させるための一つの試み、すなわち他人によって私を対象性として構成してもらうための一つの試みである。
難しい話だ。
つまり、自分の存在を認めてもらうのがマゾ。
サディズムは、受肉した存在を他人に実感させるために、他人の身体を一つの道具として利用することを求める。
つまり、自分の存在を相手に認めさせるのがサド。
存在を認められたい、認めさせたい。
正に人間の本質だ。
正しくないと言ったのは、それらの欲は存在が無ければ成り立たないからである。
本当の「幸せ」とは、認めてもらうとしても、認めさせるにしても、自分の存在を認めてもらう事。
つまり、SMこそが本当の幸せを得られる唯一の方法である。
本当に「幸せ」になりたいのであれば、自分の全てを捧げて支配される必要がマゾにはあるだろう。
本当に「幸せ」になりたいのであれば、捧げられた全てを受け止めて支配してやる必要がサドにはあるだろう。
一時的な幸せなら、好きな事をすれば良い。
食べたい物を食べたり、したい事をしたり。
それも、1つの幸せの形だから。
例え、正しくなくとも。
本当の「幸せ」を得たいのなら経験してみなさい。
きっと、欠片でも実感する事が出来るだろう。
支配される喜び。
支配する喜び。
* 慧
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