紅い檻

雌犬たっての希望で、自分の他愛も無い話をただ書き連ねるだけのブログを開設。 信じるも信じないも貴方次第。

嘘、真実、信頼


 飼っている雌犬には常に言っていること。



 「主だけを信じろ。」



 当然の様で当然ではないこと。



 貴方の周囲は嘘吐きだらけである。



 もし、仮に週3回、10:00~17:00で働いていたとしよう。



 時間に換算すれば


 (6時間) × (3回) = 18時間/週


 (18時間) × (4週) = 72時間/月


 月に72時間は職場で同僚と同じ空間にいることになる。



 けれど、常に会話はしておらず、話している時間に換算すれば



 ほんの僅かな時間だろう。



 その同僚からの


 「お前を助けてやる」


 という言葉を信じられるだろうか。



 その同僚は貴方のどこまでを知っているのだろうか。


 欲望、性質、考え。


 すべてを曝け出すことは出来ない。


 だから信じられない、信じてはいけない。


 貴方がそうであるように、相手もそうなのだから。



 「お前を助けてやる」



 その言葉の中にどれほどの打算が含まれているのだろう。


 その言葉の中にどれほどの欲が詰まっているのだろう。


 何も理解していない人と


 何も理解されていない人の間で交わされる


 信頼ほど、気持ちの悪いものは無い。



 言わば他人である。


 貴方は他人にどれほど嘘を吐かれてきただろう。


 どれほど裏切られて来ただろう。


 どれほど傷つけられてきただろう。


 一時の気の迷いで、気の高ぶりで自身を如何に傷つけてきたのか。


 そこに思案を巡らせれば思い至る。



 信じてはいけない。



 誰しも褒められればうれしくなる。


 誰しも良いことを言われればうれしくなる。


 けれど、それらは打算ありきの発言である。



 本当にそう思っている訳ではない。



 捻くれていると思うだろうか。


 けれどもそれが真実である。



 本当に信じられるのは一人だけ。



 貴方の許容量はそれほど多くない。



 多くを求めれば決壊してしまうだろう。



 大切なたった一人を信じなさい。



 前投稿で述べたとおり、信じられるのは主だけである。



 甘い言葉や誘惑に騙されてはいけない。



 貴方を貶めようと近付いてくるだけなのだから。



 守ってくれるのは誰なのか。



 信じられるのは誰なのか。



 今一度、よく考える必要があるだろう。





 * 慧

「幸せ」とは。




 幸せとは、何だろうか。



 お金を貯める事。

 好きな物を食べる事。

 好きな事をする事。



 どれも間違ってはいない、幸せの形。



 けれど、正しくも無い。



 人間の本質はSMである。



 フランスの哲学者サルトルはそう述べている。



 マゾヒズムは、自分で自分を魅惑させるための一つの試み、すなわち他人によって私を対象性として構成してもらうための一つの試みである。



 難しい話だ。

 つまり、自分の存在を認めてもらうのがマゾ。



 サディズムは、受肉した存在を他人に実感させるために、他人の身体を一つの道具として利用することを求める。



 つまり、自分の存在を相手に認めさせるのがサド。



 存在を認められたい、認めさせたい。



 正に人間の本質だ。



 正しくないと言ったのは、それらの欲は存在が無ければ成り立たないからである。



 本当の「幸せ」とは、認めてもらうとしても、認めさせるにしても、自分の存在を認めてもらう事。



 つまり、SMこそが本当の幸せを得られる唯一の方法である。



 本当に「幸せ」になりたいのであれば、自分の全てを捧げて支配される必要がマゾにはあるだろう。



 本当に「幸せ」になりたいのであれば、捧げられた全てを受け止めて支配してやる必要がサドにはあるだろう。



 一時的な幸せなら、好きな事をすれば良い。



 食べたい物を食べたり、したい事をしたり。



 それも、1つの幸せの形だから。

 例え、正しくなくとも。



 本当の「幸せ」を得たいのなら経験してみなさい。



 きっと、欠片でも実感する事が出来るだろう。



 支配される喜び。



 支配する喜び。





 * 慧